→
スピリチュアル・ウェイ

斎藤昌子から…、皆さんと一緒に分かち合いたい
【メッセージ】を随時更新していきます。
どうぞお楽しみに!


→ HOME →

→ 葉っぱ スピリチュアル・ウェイ


メッセージ


10th message...


いつもそこにある。
だから....
行こうと思えばいつでも行ける。
会おうと思えばいつでも会える。
使おうと思えばいつでも使える......

そんなふうに思ってしまうのはなぜだろう?

そしてなぜか、
「ある」と判断されたものは、意識の片隅に追いやられる。
もはや注目すべき対象ではなくなったとでもいうかのように。

意識は「ない」ものを追い求めるものなのか。
「ない」と思ったとたんに、いきなりそれは意識の対象となる。
優先順位の上位に一気に急浮上する。

「ある」と「ない」----この不思議。

私はちゃんと目を向けているだろうか?
「ない」もの、「欠けている」もの、「失った」ものに
気をとられ、意識を奪われていないだろうか?

いつの間にか「ある」を「ない」が如く、
「ない」を「ある」が如くに生きようとしていないだろうか?

大切なのは、「ある」ものに注目する意識を持ち続けること。
そうすればそれらを「ある」と認識し、育み、活かしていける。

「ある」は「ある」が如く、「ない」は「ない」が如くに!


5/29/2008






9th メッセージ


無意識と呼ばれる広大無辺な領域。
その広さと深さの中にこそ「すべての答えが隠されている」
---真理探求の旅に出た古来から今に至るマスター達が確信した
この真実に共鳴する一人として、私もまた、通常の意識では到達しえない
無意識の領域とつながることを目指しています。

意識と無意識をつなぐ懸け橋となるツール(道具)はさまざまありますが
それらはどれも「見えないものを見、聞こえないものに耳を傾ける」 ことによって
本来のツールとしての機能を果たし始めます。
数秘術もまた、例外ではありません。

「道具を使いこなす」ことは常に人間の進化のカギ。
外側の生活を改善する道具を使いこなすことによって
個々の生活や社会全体が進化してきているように
内側に光を当て、開発するためのツールを使いこなすことによって
私たち一人ひとりの意識や全体としての集合意識もまた
進化していくのではないでしょうか。

数字、シンボル、夢、イメージ、ビジョン.......
それらが描き出すものをとらえる目と
語りかける声をとらえる耳が開かれた時
通常は意識的に使われることのないもう一つの回路が開かれた時
無意識と意識をつなぐ橋が懸かり
無尽蔵の知識の宝庫につながることができるのだと
そして 豊かな可能性と創造性に満ちた世界に生きられるようになるのだと
こうしたツールは私たちに呼びかけ
使いこなされる日を心待ちにしているような気がします。

普遍年7の年1の月に
新たな始まりの予感と
この1年の感謝を込めて。

12/14/2005
→



8th メッセージ


今日はクリスマス。
普遍年6の年の今年も、もうすぐ終わろうとしています。

6の年は「愛」の年---
この1年、私はさまざまな形でつながった皆さんから
本当にたくさんの愛と友情とサポートを頂きました。
ありがとうございます!

もう一つの生き方を
スピリチュアルな意識に目覚めて生きる道を
ともに選択する皆さんの2005年が
暖かな愛と光に満ちた日々になりますように☆

お一人お一人に感謝と真心を込めて…

→ 12/25/2004




7th メッセージ


今年は秋を感じ始めたとたんに、次々と台風がやってきて...
各地の被害を伝える映像を映し出すテレビのニュースを見ながら
窓の外に広がる灰色のぶ厚い雲と降りつける雨を眺めながら
これはいったいどういうことなのだろうと
何が起こっているのだろうと
考えざるをえないような日々が続いています。

台風がもたらす大量の雨とすさまじい風は、
日本の大地の隅々にたまった淀みをすべて
払い除け、押し流そうとしているのでしょうか?
それとも私たちに、自然とのつながりを
そこに潜在するとてつもないエネルギーとのつながりを
思い出させようとしているのでしょうか?

この地上での日々の暮らしの中には
予期せぬ出来事や不本意な展開もしばしば起きてきます。

けれどもそれらの中もまた 私たちに何かしら新たな気づきを与えるきっかけが
必ず隠れている----
そこに目を向け、それをとらえる意識を持ち続けることこそが
この地上で学びを進め、進化を目指す私たちにとって
必要なことであり、決して忘れてはならないことなのだと
私は今、強く感じています。


→ 10/21/2004




6th メッセージ


人間は一晩に平均4、5個の夢を見ると言われています。
とはいえ、目覚めた時に思い出せるのはせいぜい1、2個。
何も覚えていない日のほうが多いかもしれません。

時には
意味ありげな夢を見たという感覚はなんとなく残っているのに
それがどんな夢だったのか、どうしても思い出せなくて
悔しい思いをしたり。。。

でもまた時には、数日たっても忘れられないほど
インパクトの強い夢を見る事もあって。
私の場合はそういう夢がきっかけとなって
しばらくの間夢を覚えている日々が続きます。
そしておもしろいことに夢を意識し始めると
目覚めたあとも夢を忘れなくなるし
ふとした瞬間に
その意味に突然気づいたりもします。

たとえば最近見た夢から、
私は自分が新しい流れに乗りはじめていることを知りました。
でも私の中にはまだ
意識的にしまいこんで蓋をした感情があること、
でもその蓋をあけても恐れるようなことは起きないこと、
逆に蓋をあけて覗いてしまえば
簡単に手放せることを知ったのです。

夢は私たちの内側の状態と
そこで起こりつつある変容のための次なる一歩を
シンボルを使って象徴的に教えてくれる手がかり、
無意識の深い海の底から送られてくるメッセージです。

タルムード(ユダヤ教の律法とその注解の書)には
次のように書かれています。

「夢の意味を読み取らないのは
受け取った手紙を開封せずに捨てるようなものだ」と。

さてさて今夜はどんな手紙が
奥深くの「わたし」から私に届くのでしょう?


→ 10/23/2003




5th メッセージ


豊かに流れる川の流れは
とどまるところを知らず
ただひたすらに大海を目指す。
進め、雄々しき魂よ。
自らの自覚を胸に
旗を揚げ、風に向かえ。

君が来たりしこの場所は
未だ道半ばにして
今なお予断許さじ。
覚悟新たに
進め、清き魂よ。
恐れることは何もないと
一足一足確かめつつ

進め!

→ 10/10/2003




4th メッセージ


9月11日。
この日は愛を想って過ごそうと少し前からそう感じていました。

『偶然は一つもない。すべてに意味がある』と
スピリチュアルな思考体系ではとらえます。
その視点で歴史的な出来事を眺めると
何かしらそこから伝わってくるものがあります。

2001年に特別な日となった今日は
失ってはならない愛を思い出すための日だと
この日が近付くほどに私はそう感じるようになったのです。

今朝、メールを開くと
それを裏付けるかのように
私の愛する人々からのメールが入っていました。
しかもその一つに求められるままに
私は今日、私にとって大切な愛を振り返り
考えることになりました。

「すべての愛情表現は真の意味で奇跡だ」と
『奇跡のコース』の冒頭で語られます。
愛する気持ちというのは確かに 内側から自然と沸き上がり、溢れだします。
それが奇跡。
そしてその奇跡を起こし、与え、受け取り、
体験する私たちもまた奇跡以外のなにものでもなく。。。

その視点ですべてを見る時
あらゆるできごとに意味があり
あらゆる偶然に意味があることが実感されてきます。
その根底にあるのは愛であり、
シンクロニシティもまた私たちを越える大きな存在、
宇宙から降り注がれる愛そのものであることが。。

その愛に気づいた時に内側に沸き上がる愛を感じながら
私は今夜、満月を眺めてみようと思います。

→ 9/11/2003




3rd メッセージ


お元気ですか?

選択した結果は現実の中でどのように現われてきているでしょうか?

一番気づきやすく、また喜びも大きいのは
シンクロニシティという体験です。
その時々に必要なことが与えられるシンクロ体験は
自分を超えた大きなものの働きに気づかせてくれるとともに
宇宙的なその大きな存在とのつながりや愛を
私たちに実感させてくれる大切な手がかりです。
たとえば私の場合は本との出会いは常にそうで
何か読みたいなと思った時にふらりと本屋に入ると
必ずどこかのコーナーの何かの本に目が引き寄せられます。

そしてタイトルを見ただけでこれだと思ったり、
手にとってページをめくるうちに
手放したくなくなってきたり。。
あるいは友人から送られてくることもあるし
変わったところでは
不燃ゴミをよりわけるべく整理していた我が家のゴミ箱から
長年ずっと探していた本をなぜか見つけた事もあります!

そんなふうにしてさまざまな形で
出会った本たちから私は
思いがけない発見や求めていた答え、
その後の人生の展開のきっかけなど、
つまりはその時の私に必要なものを
毎回もらってきているんですよね。

シンクロ体験を与えてくれるのは
もちろん本だけではありません。
テレビやちらし、電車の中づり
出会った人や隣あった席から聞こえてきた会話などなど
私たちが目に見えない世界とその働きを信頼して
目と耳を開いていれば
あらゆる所からもたらされてきます。
選択して体験する---
それをくり返すことで信頼がさらに強まり
文字どおりすべてが
絶妙のタイミングでもたらされてくるようになる。。

そしてそうなった時、私たちは
見た目は同じでも慈愛に満ち満ちた
『必要なものはすべて与えられる』世界で
生き始めていることを知るのです。

→ 7/31/2003




2nd メッセージ


今見ている夢、
現実と言われるこの世界にしがみつこうとする
内側のそのあなたは誰なのでしょう?
夢が消えたらもう生きてはいけないと
恐怖に震えるのは誰なのでしょうか?
あなたの内側であなたを強く動かすその存在は
いったい何者なのでしょうか?

この世界は争いと裏切りとに満ちていると
だからだまされていはいけないのだと
より早く、より強く、より利口になって
生き抜かなければいけないのだと
激しく言いつのるその声の主は
誰なのでしょう?

愛よりも戦いを、
許す事よりも勝利をと叫びながら
「本当のあなた」を眠らせ
現実という名の夢を見させている者、
それは私たちのエゴなのだと
『奇跡のコース』はくり返し教えます。

そして夢からさめることを選択する時
エゴの支配から解放され
内側にすまう聖なる存在とともに
新たな世界に生きはじめるのだと。

そこから広がる世界は
見た目には変わらなくても
今までとは全く違う
すべてが可能な世界。
誰もがみな幸せになれる
愛に満ち満ちた世界なのだと。

その世界に生きるために
必要なのは選択だけ。
それを常に選択しながら
生きていくことだけなのだと。

だから....
「私は目覚めることを選択します。
 内側にすまう聖なる存在とともに
 その愛を感じながら生きることを
 私は選択します。」
→ 6/14/2003




1st メッセージ


■スピリチュアル・ウェイ〜スピリチュアルな生き方を求めて〜

霊的な真実を伝える古今東西の
多くの人々や書物が一様に伝えているように
私たちは確かに夢を見ているのかもしれません。

それゆえ私たちは、
内側にすまう本当の自分に気づかない状態の「私」が
ひとたび『ほんとうのわたし』を探しはじめると
今までの生き方に違和感を覚え
心地よい眠りをさまたげられたようないら立ちを
感じるのでしょう。
ひとたび目覚めはじめた意識は
閉ざされた暗闇の世界に戻ろうとはせずに
あらゆる可能性に満ちた光り輝く世界に向かう扉を
探しはじめます。

すっかり覚醒した目と耳を持って
光りに照らされたもう一つの世界に入るためには
夢からさめつつあることを自覚して
『ほんとうのわたし』の声に耳を傾けながら
その声に一歩一歩
意識を近付けていかねばなりません。
でもそれは難しいことではなく、
ただ単に夢見ていることを自覚して
その夢からさめつつあることに
気づいているだけでいいのです。

そして私たちが
『ほんとうのわたし』と
一体となることを選択した時から
私たちの思考によって
固く閉ざされた扉が徐々に開いて
世界に光が溢れはじめます。

一見すると
昨日までと変わらぬように見えるけれども
実は全く違う、
新たな世界がそこから広がりはじめます。
「動かしがたい」のは現実ではなく
そのようなものとして現実を見ている
私たちの意識の方なのですから。

『私は夢からさめることを選択します。』

この言葉を心に留めながら
しばらく一緒に
起こりくる出来事を
出会う人々を
まわりの世界を
眺めてみませんか?

→ 4/22/2003






WEBSITE内の画像及びテキストの無断転載を堅くお断りします。
Copyright © 2003-2008 spiritualway.jp All rights reserved.